郷土史を読む(三馬編まとめ)

 いかがだったでしょうか。以上が「ふるさと三馬」に収められた刑場に関する記述のほとんど全ての抜粋です。

 文章はなるだけ原文に忠実に入力したつもりです。誤字も含めてそのままに写しました。

 

ここから刑場の場所がどこにあったかを考察していきたいと思います。が、すでに「郵政省の宿舎のところにあった」と書かれているではないか。とおっしゃる方も多いでしょう。

 

 しかし、私は、何度もこれらの記述を読み返すうちに、かえって場所が曖昧に思えてしかたがなかったのです。

 

 今までの文章の中から刑場の場所を示している部分を並べて見ましょう。

 

 1、「有松に処刑場があって」

 2、「今の味の素の会社のあたりが、はりつけ場」

 3、「今の国道の二つ橋の向い側の刑場」

 4、「磔付場というのは今の二つ橋の所にあったそうです。二つ橋というのは、松山荘の所に西泉の用水がありますが、その用水にかかっている橋を言い、すずめ谷川が折れ曲っている所に磔付場があって」

 5、「今の有松の国道添いの村上製菓とその向い側の元郵政省の寄宿舎(旧松山荘)に国道をまたいであった。村上製菓側が裁き場で、松山荘側が刑場でなかったかと思う。」

 6、「今の松山荘(元郵政局寮)のところ」

 

 たとえば3の文章は刑場が国道の向い側なのか、それとも二ツ橋を渡った向い側という意味なのか、どちらとも解釈できそうです。

 また、4は二ツ橋の所なのか、すずめ谷川が折れ曲がっている所なのか、それともこの二つの条件が重なった場所なのでしょうか。5では国道の両側にあったとされています。

 

 いずれにせよ地図を見ながら判断する以外になさそうです。