明治の初めまで金沢の町端にあったという上口刑法場。別名、泉の刑場。 失われた土地の記憶を郷土資料とネットの情報を駆使して探し出します。
通常の郷土資料だけではなく、郷土史家とは異なるアプローチで刑場跡地の謎へ挑みます。
プチドキュメンタリーです。
加賀藩の藩政時代、最高裁判所であり仕置場でもあった公事場(くじば)。その変遷をたどってみました。
歴史的に有名な刑場のはずなのに誰も知らない三ツ屋刑場のことなど、これまでの調査で知りえたことなどを書き留めておきます。
主に上口刑場にまつわる地蔵尊や遺蹟を尋ねて、有松周辺、野々市などを回ります。移転した養清寺にも訪れてみました。
犀川川下の仁蔵の牢屋や柳原の様斬(ためしぎり)場のこと、なべのつると呼ばれた河原に現れる陰火の正体とは?
地蔵めぐり外伝、富樫一族治世時代の証跡。野々市の馬頭観音の行方を尋ねます。
宮腰海岸の砂丘に根を下ろした一本の松が辿った数奇な運命。銭屋の処刑場跡を探します。
大聖寺藩の刑場跡と小松今江を訪れました。三壺聞書の現代語訳もあります。
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藩政期の金沢で「舞々太夫」と称して幸若舞を演じ暦を配る人物。遥か中世、大和の国にまで出自を遡る彼らはいったい何者だったのでしょう。
鶴間谷に秘められた裏話と珠姫の乳母、天徳院の御局が導く卯辰毘沙門山。一本松の知られざる事実が明らかになります。
加賀藩の隠し金山として大槻伝蔵の伝説が伝わる奥池「池の金山」。重罪人をして採掘せしめ、服せざるを磔刑に処した直海谷川の磔場を訪れました。
金沢近辺に伝わる伝承などで気になって調べた物や資料を集めて載せました。「青柏祭」や「業平の井筒」の事など。
加賀藩公事場奉行が刑罰を確定する際の判例集として編纂した『御刑法帳』、服藤弘司氏による翻刻を元に電子化しました。