三ツ屋刑場のこと 壱

 金沢の刑場に関してインターネットで検索をかけると時々「三ツ屋刑場」の名前が出てきます。

 例えばウィキペディアで刑場の項目を見ると、歴史上有名な刑場として “三ッ屋刑場(石川県金沢市、金沢藩)”と書かれています。

 

 しかし、私はこれまでの調査で加賀藩の三ツ屋刑場について書かれた具体的な資料をみたことがありません。「金澤古蹟志」や「加能郷土辞彙」にもそのような場所は書かれていないのです。

 

 金沢市内には三ツ屋町と呼ばれる地域があります。浅野川に沿って海の方へ向かうと、金沢市街と海岸のある内灘町とのちょうど中間あたりに位置しています。最近ではニュータウンとして開発が進んでいますが、特に際立った特徴がある場所でもありません。江戸時代に交通の要所だったわけでもなさそうです。

 断定はできませんがこの場所と「三ツ屋刑場」は無関係に思えてなりません。

 

 余談ですが、浅野川沿の刑場と言えば、藩政初期には安江木町枡形にあった宮腰口刑法場が寛永年間に下安江村に移転したとされています、その場所は現在の北陸鉄道浅野川線の七ツ屋駅からほど近い浅野川の河原付近であっただろうと思われます。

 この周辺の堤防沿いには天保や安政の頃の六字名号碑が残っています。それらのなかに「若連中」の文字と俗名が彫られた石碑があるのですが、「若連中」とは江戸時代の青年団のようなものですから刑場との直接の関わりは薄いようです。飢饉や洪水などで亡くなられた人を供養したものでしょうか。(青年団が罪人の名を彫った石碑を立てたとは考えにくいからです。)

 七ツ屋駅近くの堀川町久昌寺には今も刑場に所縁のある六地蔵が安置されています。また、寺の裏手には以前堤防にあった地蔵も移されて来ています。顔の欠けていた地蔵は前住職が修復されたそうです。私は堀川町の出身で、子供の頃は久昌寺の境内で遊んだものでした。  

 

 三ツ屋刑場に話を戻しましょう。重松一義/著「大江戸暗黒街」八百八町の犯罪と刑罰 という本の「江戸以外の諸藩刑場」という項にも ●三ツ屋刑場(金沢市郊外)と書かれているようです。

 本の作者の重松一義氏は法制史学者で他にも様々な本も出しているようです。したがって三ツ屋刑場のことも何らかの情報源があって書いておられるのしょう。

 ならば根気よく探せば何らかの手がかりが掴めるかもしれません。