金石にある銭五公園は悲劇の豪商・銭屋五兵衛の銅像が建っていることで知られています。金沢に住む人なら公園に訪れたことがなくとも写真で見たことはあるかもしれません。
ところで何故ここに銭五の像があるのでしょうか。
ここが銭屋ゆかりの地となったのは五兵衛が亡くなって一年ほど後の出来事に端を発します。
嘉永5年11月に五兵衛が公事場の牢で病死したのちの嘉永6年12月13日、五兵衛の三男要蔵と銭屋手代の市兵衛が地元の宮腰(金石)で処刑されます。
通常は上口や下口の刑法場で刑が行われるのですが、重罪人は所磔、所獄門と言って見懲らしのために居住地へと送られたのです。要蔵は磔、市兵衛は梟首(さらし首)となります。
その処刑の地として選ばれたのは、銭五の像から北東方向に260メートル先、当時は砂丘であった場所に立つ一本松の下でした。
「 胸高周圍八尺、樹高六間三尺、樹齡約百二十年、樹幹は東方に傾き地上二間三尺の程より三幹に岐る(金石町誌)」 やがてこの木は銭屋の松と呼ばれ人々の注目を集めることになります。
昭和初期の民謡『金石小唄』の3番目は次のように歌われます。
♪アアエー 急ぐ旅でも見て行きゃさんせ アヨイヨイ 加賀の名所の銭五松 ヨーイヨーイヨイトナ
銭五松 ヨイショ 加賀で名所の銭五松 ♪
銭屋の松は様々な絵葉書にもなりました。今でも古い絵葉書を扱うサイトで購入できます。
枯死してすでに五十年以上が過ぎ、人々の記憶からは薄れつつある銭屋の松。その正確な所在地を確かめるため金石周辺をめぐることにします。