続 野々市 その弐

 野々市町小史には明治四年のものとされる古地図が添付されており、そこには首切場や菩提寺址が載っています。

 (http://tiikijiten.jp/~digibook/nonoichi_syousi/0002/002-1s.jpg

 

 地図は南が上、北が下方向になっています。首切場近くにある二か所の三昧は現在は墓地として残っています。

明治四年 野々市地図の狐藪周辺
明治四年 野々市地図の狐藪周辺

 野々市町小史にある「北国漁網」の工場は後に「まるよりK,K」に代わり、さらに現在ではパチンコ店が建っています。

 無縁塚と馬頭観音の話に出てくる「東和織物」は「創和テキスタイル」となり、平成24年10月まで白山町にありましたが羽咋へ移転。現在工場跡はイオンタウンへと姿をかえました。

 

 下は昭和63年3月に野々市町教育委員会から発行された「ののいち町 田地俗称地図」の抜粋です。

野々市 狐藪
野々市町教育委員会「ののいち町 田地俗称地図」⑰-2 抜粋

 それでは無縁塚と馬頭観音菩薩はどうなったのでしょうか。

  工場が移転しても史跡は残っているだろうと期待して周囲を歩き回ってみましたがそれらしいものは見つかりません。

 いったん出直して情報収集することにしました。