朧の刻

 銭屋五兵衛記念館のカウンターには記念館が発行した書籍が展示販売されています。ちょうど一冊の本が目に付いたので購入することにしました。

 

 麻井紅仁子氏の「朧の刻」、銭屋の松について調べはじめたときから何か手掛りが書かれているのではと気になっていた本です。

 銭屋の三男要蔵の内縁の妻とされる西井てつを主人公にその半生を描いた小説ですが、巻末には「朧の刻」を追った足跡 と題して取材の過程が載っています。作者は金石在住で邦楽の大師範でもある非常に多才な方のようです。

 

 さっそく後半のルポルタージュ部分を探していると、やはり一本松に関する記述があるのを見つけました。ところがそれは私の予想とはまったく違うものだったのです。

 

 「つい六十年ほど前まではその跡地であることを証明するために、丸く囲んだ名残の柵と高札が上がっていたことを私の夫もはっきり記憶している。現在の金石町小学校校庭の、相撲場付近がその場所だったそうである。」 (「朧の刻」を追った足跡 より)

 

 相撲場は現在の校庭の海側、つまり西側にあります。これまで目星をつけてきた「校庭南東」とは全く逆といってよいほど離れた所です。これはいったいどういうことでしょう?

 

 「朧の刻」の作者麻井紅仁子氏は驚くほど綿密な調査を行っています。多くの関係者に直接会い、話を聞き、そのうえで本に載せているのです。しかし一方の「金沢市の地蔵尊」の調査を行った方も決して根拠のない話を載せているわけではないはずです。それにもかかわらす大きな差異が生じています。

 

 扱うものが人の記憶である以上、錯誤や変容からは逃れられないというのでしょうか。

 

 どうやら銭屋の一本松は容易にその姿を現してはくれないようです。

「金石町誌」 涛々園銭五松付近
「金石町誌」 涛々園銭五松付近