有松周辺


サンマイの地蔵

 現在は有松墓地にあり、地誌「ふるさと三馬」でも処刑場にあった地蔵として紹介されています。刑場の廃止後は、現在の市営球技場の場所にあった火葬場(サンマイ)に移されたのでこの呼び名がつきました。

 

 赤色の戸室石で作られていますが、金沢市教育委員会が発行した「金沢の地蔵尊」にある久昌寺の六地蔵尊の紹介文によれば、戸室石は「止め石」で庶民が使用するのは禁制であったそうです。であればこのサンマイの地蔵も個人が奉納したものでは無く有志の人々が講の名目で安置したものかもしれません。

 

 傍らの大小2体の地蔵も刑場から移したと伝わっているそうですが、詳細は不明との事。

 

 所在地 金沢市有松一丁目七番 

有松貴船神社

 主祭神は罔象女命(ミズハノメノカミ)保牟多和気神(ホムタワケノカミ)で八幡神社を合祀。

 

 神社の紹介はさておき、「ふるさと三馬」にある刑場の台石を確かめたくて訪れました。

 金澤上口刑法場探し上の巻 郷土史を読む(三馬編その1)参照

しかし、手洗いは昭和に奉納された新しいものが置かれています。桜の木の下の台石も探しましたがそれらしきものは見当たりません。

 もはや過去の遺跡は失われてしまったとあきらめていたのですが、「三馬公民館 五十年の歩み」の史跡マップに「刑場の石で作った雨水受けがある。」と紹介されています。

 

 早速確かめに行きました。拝殿に向かって左側にそれらしき石があります。右側の雨水受と比べて明らかに形状が違います。

 

 石板を井桁に組んだもので、修復のために金具でつないだ跡があります。刑場の台石で作った手洗を転用したものでしょうか。隅っこにあると言うロウソクを立てた穴を探してみましたがどこだか分りませんでした。

 

 所在地 金沢市有松1丁目2-1

久安地蔵

 「ふるさと三馬」によれば二万堂川橋周辺は富樫政親と一向宗との戦いや木曽義仲が平家の追い討ちをかけた場所と言われており、その死者の霊を慰めるとともに通行の安全を祈るために地蔵を安置したとのこと。

 地蔵本体は、はりつけ場にあったもののうち最も姿、形のよかった一体を持ってきて祠ったものだそうです。

 金澤上口刑法場探し上の巻 郷土史を読む(三馬編その2)参照

 

 祠は何度か建て替えられているらしく最初は木の祠で、大正時代に越前石の祠になりましたがトラックの接触により壊れ現在のものに再建したといわれています。祠の中が暗くて地蔵の姿はよくわかりませんでした。

 

 所在地 金沢市久安5丁目