怪談風 女川燈ろう流し


 金沢のお盆では、墓参りに「キリコ」と言う木枠に紙を貼った家型の箱を購入し、中に蝋燭を灯して墓の前に吊るすのが習わしです。「キリコ」は切籠燈籠(きりことうろう)の略で、その起源は藩政時代に金石の人々が藩主前田家に奉納したことがはじまりともいわれており、元禄の頃にはすでに慣習があったそうです。 

 迎え火や送り火の風習が金沢で独自に変化したものなのでしょうか。その送り火行事のひとつに燈籠流しがあります。金沢でも毎年6月初めの百万石まつり前夜に浅野川で「加賀友禅燈ろう流し」が行われてきました。 

 昭和50年から続いた行事ですが、2018年の火災事故を機に4年の間中断されています。 2022年からは蝋燭の代わりにLEDを灯しての再開となりました。

  平成三十年六月一日、その夜九時ごろ、上流から流れついて浅野川大橋付近に集まっていた燈籠のひとつが倒れて蝋燭の火が周囲に引火、やがて次々と燃え広がり約600個の燈籠が炎上し、その炎は10メートルもの高さに達したと云います。幸いに怪我人こそありませんでしたが周辺は騒然となり、見物人の誰もが橋の下の惨事に息を呑みました。 

 

 ところで、今から三百六十年ほど昔の萬治二年のこと、当時の人々が浅野川大橋から下を眺めて目にした光景もまた異様なものだったに違いありません。 

 

 『菅家見聞集』では「三月戸川宗印死後、せがれ宗仁母に不孝之由公儀ニ訴、則宗仁御成敗、其首ヲ野川橋之下ニ獄門ニ被懸」と記述。 

  (稿本金沢市史.市街編 第4 第十七章 舊蹟 コマ番号191) 

 『三州志来因概覧附録』によれば、「一書佐久間氏ノ時淺野川懸作ハ磔場ナリシトアリ」とのこと。 

  (三州志. 〔第1〕来因概覧,来因概覧附録 巻之ニ コマ番号189

 また、寛文五年には丹波織部の家来で草履取の彦助と御馬捕役市郎右衛門の妻みつが、夫の江戸詰中に密通し、市郎右衛門が江戸より帰る際に駆け落ちして大衆免町の渡部半兵衛小者久助方に潜匿したるものを浅野川の河原にて生つり胴に処したとも伝えられています。 

 (出典『御刑法抜書』寛政ニ年 金沢市立玉川図書館 近世史料館所蔵 加越能文庫 史料番号16.44-058)

 

 もはや語られる事もない往古の伝聞。 

 

 2018年の燈ろう流し火災事故は全国ニュースにも流れ、現在でもインターネットを検索すれば火災の様子を写した動画や画像が見つかります。 

 黒い水面を背景に燃え盛る炎、立昇る煙に翳む大橋、火の中の燈籠が川の流れに曳かれて踠くように回ります。 

 

 焔と化した送り火に成仏を希う亡者の姿は見えますか。 

令和3年7月9日