金沢地方法務局は新神田合同庁舎の一階にあります。ここに来るのは初めてでした。二十年前は管轄区域が分かれていて、私が行ったのは西念町の合同庁舎だったように記憶しています。
若干緊張しながら入り口をくぐると、右手側のカウンターから係員の女性から「いかがされましたか?」と声をかけられました。(私の態度が怪しかったのでしょうかwww)閉鎖登記簿や図面を閲覧したいと告げるとカウンターの隣にある閲覧コーナーに案内されました。
私がどのような書類を望んでいるかがなかなか相手に伝わらなかったようで、若干の行き違いもありましたが、土地台帳のコピーと地図のカラーコピーをいただきました。以前は地図をコピーするのは禁止されていて、マイラーと呼ばれるビニール用紙に色鉛筆で書き写していたものです。(その日もトレーシングペーパーと色鉛筆を持参していましたが不要でした。)
その時に入手した地図や台帳を公開する前に伝えておきたいことがあります。
現在の土地所有者への配慮もあって現在の地番を隠すことにしました。昭和四十七年に使われていた地番を使用して話を進めることにします。場所が刑場跡ということもあって、風評被害が生じる可能性があるのを避けたいからです。
とはいえ、地番を隠しても地図を観れば場所が一目瞭然なのは致し方ありません。だからと言って歴史や過去の記録を消したり変えたりすることも出来ません。ただ、現在の土地所有者には無関係なことではあります。
それでは、まずもらった地図を見てみましょう。
昭和47年8月1日国土調査実施地区 となっています。
地番と一部の区画割りが違うだけでほとんど現在の形と変わりません。今は128番、129番、130番が一つに合筆されているぐらいです。(その後違う形に分筆されて枝番が付いている。)
実はこの地図からはあまり有用な情報は得られませんでした。
ひとつ昔の地番が確認できたぐらいです。