あとがき

 加賀藩の刑法場について調べ始めたのは平成28年の10月終わりごろからでした。自分なりの答を見つけて調査を終えたのは翌年の一月、ワープロにこのサイトの原稿をまとめ始めたのも一月の終り頃からでした。

 

 Webに公開することを前提とした趣で文章を作っていますが、実際には近しい人物に読ませる目的で書き進めてきたものです。

 古い時代の事や難しい話を面倒くさがる相手にどうやったら文章を読んでもらえそうか、苦心したつもりでしたがあまり効果を上げていなかったようです。

 

 その後しばらく間があって、ようやくインターネットで公開するわけですが、土地の素性を調べることで所有者の方らに不利益を与えないだろうか、という懸念から掲載を躊躇する思いはありました。

 

 ただ本文にも書いたように歴史や過去の記録を消したり変えたりはできません。むしろ間違って伝わることのほうが問題が多いように思います。それに刑場や公事場をふくめ処刑に使用された土地は意外と多く、私が思いつくだけでも金沢市内で十五か所ほどあります。刑場も公事場も時代ごとに場所が移り変わったためです。特別珍しい場所ではなく、いずれも普通に人々が暮らしているのです。

 

 明治という時代はそれまでの幕府や藩の行いを全否定し、それまであった機構や体制の多くを解体してしまいました。廃藩置県も解放令も廃仏毀釈もその流れで起きたものです。

 刑場の存在も近代国家にふさわしくない野蛮なものとしてその存在を否定されました。まるで無かったものとしての扱いです。刑場が廃止されるときたくさんあったお地蔵さんが穴を掘って埋められたそうです。随分と乱暴な話に思いますが、時代が人をそのように動かしたことを覚えておくべきでしょう。

 

 あとがきまで読んでいただいた方に感謝いたします。

 

平成二十九年 六月