皇国地誌、古文書、そして真実

 ここで再び「金沢城下南部の歴史」に戻ります。この本の資料編には泉野周辺の村に関した古文書をそのまま活字にして掲載してあります。その中から私が見つけた刑場の記述の抜粋と「皇国地誌 泉村」を紹介します。

 

P256 七 弘化二年 米丸組村々高免等(抄・手帳)[泉野村文書]

(1)泉村

御印高

一、千三百四捨石、内弐捨五石明暦二月手上高

壱石九斗五合、元文四年御刑罰場御改ニ付御用地引高

 

P325 三九 宝暦六年 高物成覚書及び相対卸し地(抄・冊子)[後藤家文書五五九]

P333 (3) 泉村

P334 一、千三百四捨石、右ニ記置御印高

壱石九斗五合、元文四年磔場、相改所替被仰付候ニ付引高

(中略)

一、磔場ハ五百歩之由

 

 ここに出てくる五百歩は面積でしょうか。面積なら約3.3㎡×500で1650平方メートルです。

 

 最後に皇国地誌からの抜粋を見てみましょう。

 

P532 加賀國石川郡泉村

本村本郡富樫郷ニ在リ 文政四年辛巳米丸組ニ属シ 明治五年壬申正月第三區三番組ニ属シ 九年十一月區畫ヲ改正シ 第十一大區小四區ニ属シ 十一年郡區編制ノ時區畫ヲ廃ス (以下略)

本村元 本郡西泉村ト一村タリ 享和の頃分テ兩村トナル

疆域

東ハ金澤市街泉新町ニ連リ 西ハ本郡西泉村ニ隣シ 南ハ金澤市街有松町 及ヒ北陸街道ヲ隔テ有松村ニ對シ 北ハ一面増泉村ニ界ス

無税地

段別六段零畝壹捨八歩 官有地第一種二段二畝十一歩 第三種仕置場一段四畝零四歩 (以下略)

 

 江戸時代の加賀藩や村の資料、そして明治時代の皇国地誌、いずれにも泉村の事として刑場の記録が残っています。泉村は街道の北側に広がる現在の泉本町を指しています。

 「金澤・野町の四百年」の著者が指摘するように刑場は現在の郵政宿舎とは反対側にあったことになります。

 

 ところで、「ふるさと三馬」を読み返して気が付いたのですが、刑場の呼び名が「泉野刑場」ではなく「泉の刑場」と書かれています。「の」がひらがなです。これはどういうことでしょう。

 

 最初から泉村の刑場という意味だったのでしょうか?


 2022年7月16日に石川県立図書館が新しくなって開館。資料検索サイト「SHOSHO」では図書館所蔵の古文書や公文書の一部がデジタルコレクションとして公開されています。『皇国地誌』の原稿も『加賀国石川郡村誌』として閲覧できるようになりました。

 (石川県立図書館所蔵 加賀国石川郡村誌 九