随筆 解剖に就いての懐旧

 以下の文章は1930年発行『犯罪学雑誌』第3巻 第2号に掲載された金子治郎氏の随筆の一部を掲載したものです。

 旧仮名づかいや難読漢字は平易な表記に改めています。


解剖に就いての懐旧(一)

金沢医科大学名誉教授 医学博士 金子治郎

  

 余は明治七年四月医学館に入学したが、当時は教材として先に前田藩が大金を出して買入れた仏国製の「キンストレーキ」が一通り供えてあり、大いに誇りであった。併し学生用の骨格は甚だ払底で到底各々満足に使用することができなかった。それで止むを得ず生徒等は胴切場から拾ってきて勉強した。この胴切場は藩政時代に刑死体や牢死体を取捨る場所で、犀川畔柳原の村外れ、現在の鉄橋西端から約三四町ほど上流で、堤防脇の小藪であった。中にはその頃まだ肉付の体があり、脇差で首や手足を切取りそのまま学校へ持参した悪太郎も居た。しかしてこの仕事を脅威したものは警官(邏卒)でなく犬であった。常に猛悪な奴がその辺を徘徊した。それで我々は三四人も打連れ用心して往くことにしていたが、それでも彼奴二三匹も出てウウとやられると、やがてとんだ競争が演ぜられたことが一再でなかった。

 

『犯罪学雑誌』第3巻 第2号 P117 /犯罪学雑誌発行所 1930年発行