校庭の一本松

 昭和50年の航空写真です。

 プールが完成したのが昭和42年7月、松が伐られて一か月ほど後のことです。完成直前まで木が残っていたのですからプールの敷地と重なる事はないでしょう。

 プール開きに先立ってすでに枯死していた松の木を伐採したのでしょうか。

 次は平成19年の写真、プールは平成15年に一度改修していますが大きく変化はしていないようです。グランドの土だった場所はアスファルトに覆われました。

 もはや往時を想わせるものはありません。

 昭和7年、金沢で「産業と観光の大博覧会」が開かれると、涛々園でも博覧会期間に合わせて「銭屋五兵衛遺品展覧会」が開かれます。このころの金石では空前の銭五ブームが起こっていたそうです。

 

 昭和8年に涛々園前の松山に銭五像が建立されたのもこうしたブームが背景にあったのでしょう。一本松は銭屋の松として銭五の威徳と悲劇を伝える生き証人の役割を担うことになります。

 

 太平洋戦争が始まるとその影響を受け涛々園は閉鎖、戦後にその跡地は小学校へと受け渡されました。いつしか役割を終えた一本松はまるで子供たちに居場所を譲るかのように姿を消したのでした。

 

 

 銭屋の松(銭五松)所在地

 金沢市金石北4丁目1−1 金石町小学校敷地内

 北緯36°36'33.0" 東経 136°35'56.9" (Google マップでの測位)

 

平成31年2月23日