金沢市教育委員会が平成9年に発行した『金沢市の地蔵尊』には「相生町地蔵尊」として次のように書かれています。
所在地 金石北3-8 安置年代 昭和30年以後移転
お地蔵さんというが、実像は千手観音である。相生町町会の人が世話をし信心している。現在地で奉斎する前は金石町小学校校庭南東隅の一本松の傍らにあったのを移転安置した。昭和30年以降のことである。(中略)
元銭屋五兵衛の三男要蔵が磔刑された跡の一本松の所に祀られていたが、金石町小学校の運動場造成のため土盛りした後一本松が枯死したので伐った。そのころ(昭和30年以降)お地蔵さんを相生町町会の現在地に移転して奉斎した。特別なご利益も言わないが、各自の願により拝んでいる。
(後略)
金石町校下町会連合会のブログに 2010年8月30日の日付で「残暑のお地蔵さん巡り」の記事が載っています。(https://kanaiwa3.exblog.jp/13159442/)
ここでも相生町地蔵尊は金石町小学校校庭南東隅の一本松の傍らにあったと書かれています。
ただし、一本松が伐採されたのは昭和30年代ではありません。金沢市図書館のホームページの「市史年表 金沢の百年 昭和続編」には次のよう書かれているからです。
昭和四十二年(1967)6月6日 分類 社会・文化
金石町小学校の校庭にある樹齢300年と伝えられる銭五の松が枯れ、伐採された。
出典 金沢の百年 昭和続編(https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shishinenpyou_s.htm)
相生町観音から歩いて小学校の校庭南東の角へと向かいます。
校庭南東付近に一本の松の木が生えているのが目に付きます。近づいてみるとかなり大きく、相当の年数を経ているようにみうけられます。
これはどうもおかしい。
銭屋の松は一本松と呼ばれていました。ならば周囲には他の松の木が立っているはずはありません。唯一考えられるのは、銭屋の松が枯れた後に他の木を植樹した場合ですが、その可能性はほぼ無いでしょう。
どうやらここは銭屋の松の立っていた場所ではないようです。