北鉄のお不動さま

 金沢の北西の郊外、割出町に北陸鉄道本社と関連会社が集まる区画があります。その敷地の南側の道路に面して緑に囲まれた小さなお堂が建っています。そのお堂の存在と由緒を知ったのは私が「金沢の刑場」に関してインターネットで検索していた時のことでした。

 まずはその記事とリンク先を紹介しましょう。

 

「北陸鉄道本社の横に、「北鉄のお不動さん」として知られる小さなお堂があります。この「大日大聖北鉄不動明王」と呼ばれる不動尊は、初代北鉄本社が兼六園下の現在県営駐車場になっている場所にあったとき、敷地が藩政時代の刑場跡地だと言われていたことから、初代社長だった林屋亀次郎先生が「北鉄百年の安泰」を願って安置したものだそうです。

 その後、一時は金沢市東兼六町の曹洞宗雲龍寺へ預けられていたこともあったようですが、昭和24年(49年)7月20日に本社工場から出火し、諸施設が焼失したことを機に、再び本社内へ戻され奉納されたといいます。昭和43年(68年)10月1日、本社が割出町へ移転したとき、お不動さんもこの地へ遷座され、以来北鉄の守り神となっています。

 石川県立図書館所蔵の北陸鉄道社内報「ほくてつ」平成9年(97年)12月号によると、毎月28日に役員や部課長が参列して曹洞宗雲龍寺のご住職によって祭礼が営まれているとあります。」

        http://morisake.web.fc2.com/tp-nisiwari.html もりさけてん.com

 連休ともなれば多くの観光客が訪れる兼六園下の石川県営兼六駐車場が藩政時代の処刑場だったとはにわかに信じがたいことですが、実は藩政初期に公事場と呼ばれる施設だったことがわかっています。さらに駐車場の向い側、金沢地方裁判所も藩政期の公事場であり、明治時代には監獄だったところです。

 

 公事場とは加賀藩の最高裁判所のようなものです。公事場には付帯施設として牢屋が設置され、土壇場と呼ばれる処刑場所がありました。土壇場には斬罪のときに体を横たえるための壇や、血溜の穴が築かれていました。

 

 この章では金沢の公事場の変遷をたどってみたいと思います。