5月9日、金沢駅のもてなしドーム地下広場で行われていた「いしかわ古書フェス2021」に出かけました。中には古文書を扱うお店もあって、そこで偶然1枚の書状を手に入れました。(文化九年の月頭歴を買い求めたら一緒に入っていました。)取り出して開いてみると思いがけない長さです。
とりあえず読めそうな箇所を探すと「百姓四十三人」「御奉行様」「困窮」の文字が見つかります。後半部には名前と判がズラリと並んでいます。どうやら何かを訴える訴状のようです。
何が書いてあるのかが気になり、この際なので翻刻に挑戦してみました。
乍恐大杉上両村百姓共御なけき申上候
草高
一千百八拾六石 大杉村惣御高
此免思シ申
同
五百七拾石八斗八升四合 上両村分
右之通先規ゟ御定被下上両村百姓四十
三人として支配仕来り申候所ニ去々年
寅二月御奉行様御意之旨ニて十村衆ゟ
被仰承上高可仕由御申承候共先規ゟ
御国堺ハ御用拾被遊被為下候所之申上候
候共是悲/\承上高可仕旨御奉行様
御意と御座りニ付無是悲四拾石指上申候
其砌御奉行様御意と御座候而十村衆
御場之御書出し之写被下頭載仕ニ枯申候
然所ニ又之其暮ゟ承上高可仕也十村衆度々
御申渡シ候而何共/\迷惑至極ニ奉存候
先規御方之通御なけき申上度奉存候
間被仰上可被下也度之十村衆申上候共
永引無承少承上高可仕と御申承候然共
御国堺御礼立之在所ニて御座候間乍憚御
なけき申上候上村之儀ハ白山并之せつそう
ニて御座候ハ年之ふ作所百姓共近年礼分
困窮仕申候間御意悲を心右之段之被仰聞
左分先規之通りニ被遊比度承上高之
義御拾免被遊被為下是難有所可奉存候
以上
元禄十三年四月卄七日
大杉上両村肝煎
勘助
同与合頭
九兵衛
(中略)
瀬領村
清右衛門殿
何分にも素人の翻刻なのでかなり怪しい部分もありますが、8割ほど正しければ良しとしましょう。(誤りがあれば御指摘ください。)
かつての能美郡大杉村は現在の石川県小松市大杉町に当たります。上両村の地名は見当たらないのですが、大杉上町という名前のバス停があるのでその辺りを指すのかもしれません。瀬領村は小松市瀬領町です。ここに役所が在ったのでしょうか。
今から320年前の大杉村の訴えがその後どうなったのかを知るのは容易ではありません。関わる記録が見つからないのです。村人たちの嘆きが書き留められることは無かったのかもしれません。
今は昔のこと。
令和3年5月30日
All those moments will be lost in time,
like tears in rain.