銭五の館

 次に向かったのは銭屋五兵衛記念館でした。何年も前に一度訪れたのですが、その時ここで銭屋の松の写真を見たような気がしたからです。

 

 館内に入ってすぐ右側の展示コーナーのガラスケースの中、一枚の飴色の丸盆が展示してあります。

 

 館内は撮影禁止なので画像を載せることはできませんが、丸盆の横には銭屋の松の写真とともに下記の解説が書かれています。

 

 「金石町小学校の以前の校庭(現校舎側)に樹齢100年以上の松の木一本に、囲いをし大切にされていました。 五兵衛の三男要蔵が、番頭 市兵衛と共に、嘉永6年12月13日に宮腰海岸のこの松の木近くで磔の刑に処せられたと伝えられています。 通称銭五の松と呼ばれていました。その後、この松は枯死し、昭和43年7月銭五会館(後に銭五遺品館と改名)開館の時、伐採した松の木で大小のお盆を作り記念品としました。(以下略)」

 

 やはり一本松は旧校舎時代の校庭、つまり現校舎側に立っていたのです。

 過去にネットオークションに出品された丸盆の画像があったので掲載しておきましょう。

この丸盆は使用感がありニスが薄くなっているようですが、記念館には展示されていない共箱と栞が写っています。

 箱書きの銘は「銭五餘香盆」、つまり銭五の残り香というわけです。


 後日、記念館の方に写真撮影についてお尋ねしたところ「所有権などがあるものは許可できないが、中には撮影して良いものもある」とのことでした。そこで丸盆の撮影について伺うと、「これは良いのではないか。」との返事をいただきました。

 御厚意により写真を掲載しますが、問題が生じる様であれば御連絡ください。