小坂三ツ屋

 小坂村の小字、三ツ屋の名前は地名では残っていませんが町会名として現在も使われていました。

 小坂町公民館のホームページの町会紹介に小坂三ツ屋の名前があり、町会のホームページへのリンクもあります。(http://kosakakou.capoo.jp/blog/

 

 さっそく、三ツ屋町会のホームページにアクセスしましたが、平成20年1月から更新が止まっているようです。所在がわかる手がかりがないかと見ていると「一斉美化清掃デーの班別分担図.pdf」というものがありました。住宅地図に清掃箇所の水路と担当する班の番号が書かれています。

 

 この地図から小坂三ツ屋町会が小坂町の何処にあるのかがわかります。小坂町北の国道359号線の両側一帯と小坂町未がそれに該当するようです。

 東側の山裾にそって続いている北国街道もこの地域に含まれています。小坂三ツ屋の北端は神谷内町につながっています。

 その後の調査で慶応元年の「河北郡分間絵図」にも三ツ屋が載っていることがわかりました。この絵図では街道に沿って「小坂」と「神谷内」の間に「三ツ屋」と書かれています。

 (射水市新湊博物館 高樹文庫「石黒信由関係資料」河北郡分間絵図

 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/1621115100/1621115100100010/?mid=mp105740

 この絵図を見ると三ツ屋は小坂村とは別の村として認識されていたように思えます。  

 

 小坂三ツ屋の位置はわかりましたが刑場はどこにあったのでしょうか。『金澤古跡誌』からは小坂村領山之根、あるいは「おつ坂(小坂)出口」としかわかりません。「泉の刑場」を参考に考えれば、北國街道に面した1000㎡程度の広さの土地であろうと予想されます。

 何か痕跡がないかと昭和21年の航空写真を見ると、このころはまだ国道さえ出来ていませんでした。旧街道以外に道がありません。今とは随分違う景観です。

    [地図・空中写真閲覧サービス http://mapps.gsi.go.jp/

 三ツ屋付辺に一箇所だけ大きな建物が写っているのは鋳造所でしょう。

(注、昭和38年の住宅地図から鋳造所としましたが、明治末から大正にかけては瓦工場だったようです。大正3年の『日本商工人名録』に「瓦煉瓦土管製造窯元 水口惣次郎 小坂村字小坂内三ツ屋」と載っているのがこれでしょう。) 

 

 いろいろ調べるうちに百坂刑場へ向かう人の様子を親から伝え聞いたという記事を載せたブログを検索で見つけることができました。

  

 その記事のなかに何か手がかりがあるかもしれません。