中世の声聞師とケガレに関して


声聞師

 

 「声聞師」と呼ばれる以前は奈良大和では「横行」、京では「散所」と呼ばれ、社寺や貴族に隷属し地子を免除されるかわりに掃除役などの雑役を務めていました。

 

 遅くとも十一世紀末には「散所」が庭掃を職掌としており、またその頃にはすでに「散所」が千秋萬歳を演じていることから、本来が芸能・呪能を生業とする人々が掃除役を課せられたとも考えられます。

 千秋萬歳は予祝芸として呪術性を持つものですが、掃除が「ケガレ」を祓い清めるものであるならば、彼らの呪術的能力を見込まれたのかもしれません。

 

「横行」も「散所非人」も陰陽師を行っていたことが知られています。

 

 本来の陰陽師は官職として陰陽寮という部署に属して占い、天文観測、暦の作成を行い、その知識は門外不出とされていましたが、徐々に禁が破られて平安後期には多くの民間陰陽師がいたようです。

 「声聞師」たちもそうした民間陰陽師でした。大和の「影塚之横行」の止住地と思われる鍵塚村は、女は巫職(ふしょく)として土御門家から許状を受けて口寄せを、男は覡職(げきしょく)として布留社(石上神宮)から補任状を受けて舞大夫を務める陰陽師村であったそうです。

 

 奈良の声聞師は南郷の五ケ所、北郷の十座を拠点として声聞師座を形成し、大乗院家と興福寺衆中に隷属する代償として他の芸能者(七道者)を支配する権利を与えられていました。後に能楽と呼ばれる猿楽も「七道者」に含まれ、大和猿楽四座も声聞師の支配を受けました。

 

 能勢朝次『能楽源流考』ではこれらの芸能者は平安時代の「散楽戸」が延暦元年(782)に廃止された後に様々な姿に分かれていったものだろうとしています。

「ケガレ」―穢れ考

 

 声聞師がその能力で「ケガレ」を消滅できるのなら彼らは常に清浄な存在のはずです。しかし実際には穢れた者として卑賎視されています。何故でしょうか。

 

 平安から室町時代にかけて、陰陽師が人形に穢れを移して水に流す七瀬祓が京都の公家や鎌倉幕府で流行していました。この人形は形代と呼ばれ、心霊が依り憑く依代の一種と考えられています。多くは紙の人形で、これで体を撫でて穢れを移すので撫物とも呼ばれています。人形を「ケガレ」の依代とすることで人間の身代わりにしているわけです。

 最後に形代を川などに流して祓いの儀式が終わるのですが、これらの内容から「祓い」は「ケガレ」を移すことは出来るが消滅させるものではないことがわかります。

  一部に形代を火で焚き上げることが行われているそうですが、「これはどんと焼きや密教に由来する行事であり、神仏習合で混用されたと考えられる。」とのこと。(Wikipedea 「大祓」より)

  つまり、「ケガレ」は人為的に消滅させることが出来ないので自然に消えるのを待つか、他へ移すしかありません。

 

  「散所非人」や「横行」が掃除役を課せられたのは、彼らを霊媒者とみて「ケガレ」を憑依させる依代として使役したとも考えられます。つまり生きた形代だったのではないでしょうか。

 

 祓えの儀式で撫物の人形をもつ巫女が、ケガレを一身に背負う存在と位置付けられていたともいわれており、ケガレを扱うことから不浄の者と見做されたのかもしれません。

  

 陰陽師村であった奈良の鍵塚村は近世に入って巫職(口寄せ)を廃業しますが、その理由として他村から「筋目違」とみられ、奉公や縁談も不自由し、様々に差別されたからだとしています。

 「筋目違」とは「憑き物筋」の様な事をいうのでしょう。得体のしれない物への恐れから忌み避けられたものと思われます。

 

 「河原者」と呼ばれた人々も検非違使の下で掃除役を務めていました。「清目」と称されることもあります。この掃除とは一般的な清掃だけではなく人や動物の遺骸の片づけも含まれており、身分の低い者の専業となりました。

 「河原者」は貴族たちから「声聞師」よりも穢れた存在とされましたが、同様に「猿楽の専業芸能者」も穢れた者として内裏に入る事を禁止されました。代わりに「声聞師」が猿楽を演じています。

 その要因のひとつとして彼らが生来の穢れを持っていると見られていた節があります。何らかの出自にまつわる不浄視があったのかもしれません。

  

 鎌倉時代の辞書『名語記』では散所や声聞法師は乞食の事と書かれており、『塵袋』では掃除の職掌をキヨメと呼んでエタと同義としています。

 こうした中世に起源をもつ賤民たちは、後の太閤検地や宗門改めなどを経て幕藩時代に身分が固定化され、明治四年の解放令布告まで継承されることになります。

 

 主要参考文献 

  吉田栄治郎「中近世大和の被賤視民の歴史的諸相」、『天理大学人権問題研究室紀要 第6号』

  池田美千子「中世後期の猿楽 ー天皇・院・室町殿との関係ー」、『お茶の水史学 56号』

  世界人権問題研究センター編『散所・声聞師・舞々の研究』(思文閣出版)

  野間宏・沖浦和光『日本の聖と賤 中世編』(人文書院)

  宮田登『ケガレの民俗誌 差別の文化的要因』(人文書院)

  喜田貞吉『俗法師考』(青空文庫)