小松今江村端

 先に紹介した『三壺聞書』、『那古屋丹助日記』には小松今江に刑場があったことがしめされています。他にも『石川県史』第三編 第六章 第二節 文化の小松暴動 にも高堂屋庄次郎なる人物が今江村端に於いて磔刑に処せられたことが載っています。

 しかし、刑場の場所をもっとも詳細に表わしているのは『小松史史料編 上巻』の中の記述でしょう。

 

 P850 毀家いたし候ニ付御刑法之一件 の中で 「天明四年四月能美郡須天村・今江村之間往還東之方松御林之内、空地之處ニおゐて小松浪人池田林右衛門と申者御刑法被仰付候由」と書かれています。

 

 須天村と今江村の村境が現在も同じであるならば、県道11号線須天南交差点付近の東側ということになります。

 『加賀志徴』の「今江松原」によれば「今江は明和年中迄、那谷碑石が村端なり」とありますが、今は松林なども無く何一つ痕跡を見つけることはできませんでした。

  

  特に目を引くものもない風景なので用事が無い者には素通りするだけの場所かもしれません。

  大聖寺では伝承以外に石碑や地蔵が残っていましたが、あれは稀な例なのでしょう。

 

 須天町から旧街道を離れ今江潟の方へ向かうと誓願寺というお寺があるようなので、何かの手掛りでもないものかと車を走らせると、そこには小松市営の墓地が広がっていました

 

 約6万数千平方メートルの土地が新旧の様々な墓石や慰霊碑で埋め尽くされた光景は圧巻で、思わず驚きの声を上げてしまったほどでした。予期せず目にした風景ということもあったのでしょう。

 後で知った事ですが、この場所は「海老町三昧」と呼ばれ、前田利常が小松在城の頃からの一大墓地であるとのこと。(石川県能美郡誌 P1214

 

 さすがにこの広さの中を当てもなく歩いて回る気にはなれず、夕刻のせまる今江の町を後にしたのでした。

 

平成31年4月28日

 昭和44年、今江町内会発行『今江潟と今江町の歴史』に掲載された「今江古城之図」の中に磔場の文字を見つけました。ぜひ探してみてください。

今江古城之図 
今江古城之図 今江町内会発行「今江潟と今江町の歴史」より