さっそく医王山寺へ出かけてみました。
此処へは何度か訪れたことがあります。広大な敷地ですが本殿から左後方の階段を上った広場にその姿を見つけることができました。
見るとまだ新しい献花が添えられていたので驚きました。
後で寺院の方に伺うと十日ほど前(11月6日)に創和テキスタイルの方が訪れたのだそうです。現在も年に一度、会社としての法要が営まれているとの事でした。
ところで、様々な仏の中からなぜ馬頭観音を選んで奉ったのでしょうか。
それは恐らく野々市や富樫氏が馬と関りが深かったことに因んでいるものと思われます。
冨樫の時代、長享二年(1488)に野々市で馬市が開かれていた記録があり、藩政時代の寛永七年(1857)から大正六年まで馬市が開かれとても賑わっていたそうです。
また富樫政親は雪舟にすすめられて数多くの馬を描き、その絵は現在でも残っています。
台座には龍と椿の花が彫られています。椿は野々市の市花木に選ばれており、野々市に古い椿が多いのは富樫政親が京都から移し植えたからだと言われています。
石板に世話人として名前のある大森玄衆氏は、富樫一族の供養のため野々市に五智大乗院を建立された方ですが、医王山寺の井上行照住職との交流をきっかけに住職の資格をとられたようです。
医王山寺と馬頭観音像の建立、移転の関わりはこうした事情によるものでした。
冨樫氏ゆかりの地を離れ、医王山に静かに佇む馬頭観音菩薩は今でも狐藪を見守っているのでしょうか。
平成30年11月18日
医王山寺所在地 金沢市湯谷原町2-23