『金澤新風景』
著者 悠々居生 文, 小松砂丘 絵
出版者 北国新聞社出版部
出版年月日 昭和8
P101 銭五松
金石や大野は一世の商傑銭屋五兵衛の予備知識なしには考えることが出来ないほどの土地である。ところがその屋敷跡を示す立札もなければ遺蹟もない。
「銭屋五兵衛という人は余程当時の人民共から悪まれて居たのじゃないかね」
「何せよ今日の貨幣に換算すると一億円近くの財産があったそうだから金石や大野あたりにマルクス主義が居たかもしれんて」
「それにしても松の木一本しか記念すべきものがないというのは一寸不人情過ぎるじゃないか」
「涛々園の裏の銭五松はありゃ本当の銭五松じゃないんだよ。銭屋要蔵や手代市兵衛がはりつけに合ったおしおき場の松の木は別にあるのだが、少し小さいものだから大きいやつにしてしまったんだ」
「ますます以て銭屋も浮かばれない話だね」
「第十六番、山城國洛東、清水寺 ― 松風や音羽の瀧は清水を、むすぶ心はすずしかるらん ― と書いてある。フヽヽヽさぞ涼しかるらんだ」
「銭屋の家の物は庭石まで根こそぎふんだくってしまったのだそうだから考えて見りゃひどいことをやったものだね」
「考えなくってもひどいや、ファッショでなければ思いきったことは出来ないというのは尤もだぜ」
「それでもやっとこさで銭五の銅像がたつそうだ」
「あのロシヤ人見たいな銅像かい」
「そうだ、まあ何でもないよりあった方がいいだろう」
「ない方がすっきりして却っていいかも知れんぜ」
「ロダンのバルザックなんか持ち出して銭五の銅像を芸術品などとおだてた向きもあったぜ」
銭五松のかげにたたずんで話していると涛々園からはしきりに絃歌の声が聞えて来る。
今の銭五松は風来坊にとっては探すのに骨が折れる位、切角探しあてても低徊願望するに適当でない。海を見るには松原が背伸びをして来たし往時を想起するにはあたりがあまりにせせっこましい。
「今の内に本当の銭五松に遺蹟変更をやって、そこに銅像をたてるがいい」
これは野人の意見なのだが御賛同の向きはありませんか。
涛々園の階上に上って見ると、見える、見える、われらの生命線日本海がなんと美しく輝いていることか。涛々園は美形をはんべらせて一盞を傾くるにはまことにいいところである。何せよ日本海に日が入るのが見られるだけでも千両ものだ。銭五盛なりし時には千石船が何十艘となくこの濃藍色の海をすべっていたことであろう。
わしがぢゝごは 銭五の船頭ヨイ/\ 三十五反で蝦夷通い ヨーイ/\ヨイトナ 蝦夷通い。
(旧仮名づかいなどは新しいものに改めています。)
『金澤新風景』著者の悠々居生とは北国新聞社主事を勤めた鴨居悠のことであり、画家鴨居令の父でもあります。文中の野人は画家小松砂丘で、この二人の掛け合いの会話で文章が綴られています。
なんとそこには涛々園の裏の銭五松とは別に本当の銭五松があるのだと書かれています。このはなしの真偽を確かめる手立てはないものの、もしこれが事実ならば、一本松の辿った運命は人々の思惑に翻弄された想像以上の珍談ではないでしょうか。