拾遺・業平の井筒ものがたり 弐


 まず西村氏が疑問視していることですが、なぜ山森青硯は『卯辰山開拓録』に「滝邱井欄碑」の文章が記載されているといっているのか。実際に国立国会図書館デジタルコレクションから『卯辰山開拓録』の中を探しても該当する箇所は見当たりません。

 実は山森青硯は昭和43年『宝生』17号に「異本卯辰山開拓録」の題名の投稿でこの疑問に答えています。  

 『卯辰山開拓録』には山森青硯が異本と呼ぶ別の版が存在していました。山森青硯はこの本の発見を「此れも筆者が些か能楽史に興味を持つた副産物としての現れで誠に感謝にたえない」と喜びを表しています。しかし発表の場が極小部数の専門雑誌ということもあってか一般に周知されていないようです。 

 

 この異本と普通本の唯一の違いは「滝邱井欄碑」の漢文の代わりに桜顚女の和歌が載っていることで、挿絵は両本とも同じ絵が載っているそうです。

 

 山森青硯はここでも井筒を覗き込む二人の姿を「二人の女人」と述べています。(なぜでしょう? 私には幼い頃の業平と紀有常の娘の姿ととらえるのが普通のように思えるのですが。 結局この謎についてはわかりませんでした)

 山森青硯の調べでは八分二分位の割合で異本が存在しているとのこと。青硯は「滝邱井欄碑」を載せた印刷本が少数なのは「此の井筒の詳細は当局の忌諱にふれたもので、即刻改版を命ぜられたものでなきか」と推測しています。 

 大正5年『槁本金沢市史』に「滝邱井欄碑」の碑文が載っているのは、おそらくこの著者も『異本卯辰山開拓録』を参照していたからなのでしょう。 

 それではこの「滝邱井欄碑」とはどんな内容なのか。碑文全文とAIによる翻訳をご覧ください。 

滝邱井欄碑

夫物聚散隠顕蓋皆有数焉公侯之尊不能必其守而不失也百守器陳宝之大而至杯棬衣服玩好之細 流離播蕩之余拳帰他人好華之徒得之以傳名于後也者亦不鮮矣丁卯之秋吾卯辰山菅公祠之成也 遠近争致寄木怪石等之物今皆排列諸祠前之地而故物亦聞存矣滝丘井上一井欄在焉其色淡黑斑 紋苔蘚剝蝕古色可掬蓋数百年之物嘗在大和在原寺豪商購之後三四流転齎来于吾邦齊藤某氏得 而之珍之置茶井上又再傳為一富商木氏所藏也木氏仰慕 

神之韻度文稚今也奉之祠前其意蓋在於手為園裏燕間之翫不如奉之祠前以傳于久之愈也矣夫木氏愛著此物子孫不能守則猶今之於古也偉哉括淡無我脫然割愛以為永久之謀也頃者某人恐其湮没于後世謀之同志欲建碑記其事由焉徵銘於余及序其所聞而係以銘曰 

風流古雅一井欄詞藻想昔在中將好事相傳幾經星霜遠矣在原咫尺滝邱來掃廟前風月揚光尺乎緣乎何以致之於戲神之靈誰謂非徳之所致邪 

明治己巳仲春之月 

中井順撰 

 

 物事には集まったり離れたり、隠れたり現れたりすることがあり、そのすべては数(運命)に依存しています。公侯(高貴な身分の者)といえども、その地位を必ずしも守り続けることはできません。たとえ百年守り続けた宝物や珍品であっても、杯や茶器のような些細なものから衣服や装飾品まで、時には流浪して他人の手に渡り、それを得た人が名声を後世に伝えることも珍しくありません。

 

 丁卯の年(1867年)の秋、私は卯辰山の菅公祠(すがこうし:菅原道真を祀る神社)が完成した際に、遠近から木や珍しい石などが寄贈され、今ではすべて祠の前に並べられています。古い物も残っていると聞きます。滝丘井上の井欄(いらん:井戸の縁)もその一つで、色は淡い黒で、斑紋や苔がむしばみ、古色が感じられます。これは数百年前のもので、大和国在原寺から始まり、豪商が購入し、三度四度と転々とした後、私の故郷に持ち込まれました。斎藤某氏がこれを得て珍重し、茶室の井戸の上に置きましたが、再び富商の木氏に伝わりました。木氏はその美しさに心を惹かれ、さらに仰ぎ見たのです。

 

 神の風雅さを感じさせるこの井欄は、稚拙なものと思われがちですが、今はそれを祠の前に奉納しています。その意図は、この井欄を庭園や室内に置いて楽しむよりも、祠の前に奉納して長く後世に伝えることの方が優れていると考えたからです。木氏がこの物を愛し、子孫がそれを守れなかったとしても、それは現代が古代を受け継げなかったのと同じことです。偉大な木氏は、淡々として無私であり、思い切って愛着を断ち、永久に残すための計略を立てました。

 

 近頃、ある人物が、後世にこの井欄が埋もれてしまうことを恐れ、同志たちと相談し、この事跡を記すための碑を建てようと考えました。そして、余に銘文を求め、彼が聞いたことを序文として記し、その上で次のような銘を刻みました。

 

 風流で古雅な一つの井欄は、詩文の題材として想いを巡らせると、昔、中将(在原業平)がこれを好んで楽しんだことが思い起こされます。幾度も時が移り変わり、在原から滝邱へと移り、今は廟(祠)の前に置かれて、その風景とともに光を放っています。この井欄がここに至ったのは何の縁によるものでしょうか。

 ああ、これは神の霊の力であり、徳の働きによるものではないでしょうか。

 ChatGPT(GPT-4o)による翻訳