今までの法務局での調査の中で耕地整理後に作られたと思われる地図をみつけました。大正十一年から昭和四十七年まで公図として使われていたものと考えられます。この界隈の昔を知る上で貴重なものに思えるので掲載しておきましょう。
全体は現在と大きくは変わりませんが、松金線の軌道が国道の北側を道に沿って走っています。
雀谷川の折れ曲がったところには橋の絵が描かれています。旧刑場の養清寺跡地もかつては街道を横切って雀谷川が流れていました。そこに架かる橋が「金澤古跡誌」にある養清寺橋です。偶然かもしれませんが地形の符合を感じます。
また、この図には「ハ130」と「ハ131」の間に現在の道路がありません。