では、これまでの資料を検討して松の木の位置を推測していきましよう。
まずは昭和27年撮影の空中写真を見てみます。赤い丸で囲んだ所が気になります。影の形から塀か壁で囲われているように見えます。
この丸印をそのまま昭和37年の航空写真に落としてみました。松の木が伐られる五年前の写真です。涛々園の建物は姿を消し小学校が建てられました。この丸印の中だけ木を残しているように思えます。もちろんこれだけでは確証をもてません。
そこで今までに分かった事を【ヒント】として場所を限定していきます。
【ヒント1】 銭屋の松は涛々園の敷地の中にある。(「産業と観光の大博覧会」冊子の広告より)
赤い線が涛々園の敷地になります。これは金石バッス計画配置図を参考に昭和27年の写真をなぞって描きました。
【ヒント2】 銭屋の松は旧金石町小学校の校庭(現在の校舎側)にある。(銭屋五兵衛記念館 丸盆の解説より)
建物の建っている敷地の下半分近くが除外されます。
本来はこれに涛々園の建物部分の場所も除外されます。(建物をなぞるのが面倒なので割愛しました。)
【ヒント3】 銭屋の松は海側にある。つまり東側ではない。(各種鳥観図より)
もう十分でしょう?
此処でなければ他の何処だと言うのでしょう。
次にこの場所がどの様に変わっていったのかを見ていきます。